統一教会の経典の秘密

韓国メシヤ運動史研究所シリーズ第5巻 統一教会の経典の秘密 『原理原本』から『真の父母経』まで

文姸進と文情進の結婚式直後、韓鶴子は独生女に対してより具体的に言及

● 2014年9月12日、文姸進と文情進の結婚式直後、韓鶴子は独生女に対してより具体的に言及した。

 

「天は独生子だけを送ろうと準備されるでしょうか。独生女も準備したのです。その摂理歴史で選ばれた民族が失敗すれば、その民族を2度と使わないでしょう。そのことを私たちは原理を通じて知っているでしょう。そのために、天は安全を期して西で起きた時に東を見られたのです。それは皆さんが 知っているか解りませんが、独生女の背景です。少し勉強してみなさい。…ところで皆さんは聞いたかどうか解りませんが、私は天の父母の保護圏において育った者です。母胎から堕落した人間とは分離されていました。それを知らなければなりません、皆さん。そのために私に誰かが原理のみ言葉一つ語ってくれなくても、私は自らこれが私が行くべき道なら行く。私一人によって天の父母様が解放され、人類が解放されるというような強迫感。
…(私が)真の父母として決心して歩んできた道は真の父母の道だが、この道は華やかな道ではない。蕩減を解決しなければならない道だ。蕩減復帰摂理歴史は知ってるだろう。そのために、皆さんは私を背負って行かなければならない。地に足が触れないように保護しなければならない。それは、私たちは根本が違うではないか。それで、祝福の歴史が始まった。それで、堕落の血統を脱ぐことができるようになった。
…今、愚かな者たちが多い。お父様が亡くなったので、自分がお父様の代身者だ、何、お母様は責任を果たせなかったとか、ああだこうだ言う者たちは可哀想だ。…これ(堕落の血統を脱ぐ事)は誰にでもできないことだ。独生女にしかできない。独生女確定者。独生子の位置は2000年前に立てられた。お父様はイエス様が現われて、自身が成せなかった使命を引き受けて下さい、そのよ うにして、スイッチされたのだ。分かるか。天は始めと終りが同じだ。独生子が 2人になることはできないだろう。一人だ、一人。ところが、独生女はいなかったでしょう。…ですから私でなければならない。私以外には誰もできない。それを知らなければならない、皆さん。皆さんは全て祝福を受けたでしょう」

 

 この日、「真の家庭」の文姸進と文情進が見慣れない西洋男性と結婚式を挙げた。この西洋男性の2人は清平で40日修練を受けることで真の家庭の構成員になることができた。彼らのプロフィールについて知る人はいなかった。これは既存の統一教会の伝統から逸脱した異例の結婚式であった。伝統的に真の家庭の子女は、統一教会内の祝福家庭の子女と婚姻してきた。統一教会の「血統 」と伝統を守る模範を真の家庭は守ってきたが、この場合、真の家庭の子女が 統一教会の伝統と無関係であり、統一教会の神学的観点において「堕落の血統」と血統的関係を結んだという事実は、あまりにも破格的な措置であらざるを得なかったが、韓鶴子が説明するこの結婚式の神学的価値はあまりにも簡単であった。

 

「今回の聖婚について皆さんが文句を付けられることは何もない。私が皆さんの為に生き、人類の為にしたことだ。天は絶対に損をすることはない。中心だけを皆さんがうまく捕まえていれば、私たちと一緒にしてやれ。先ほど金会長が奇蹟だと言ったでしょう。奇蹟だ。奇蹟が起こり得るのだ。そうではないか。 横に真の家庭の子女らが座っていて言ったことが、お母様は今度2人の息子を通じて2つの家門を伝道したと言うのだ。40日間、それも40日間で原理修練を受けさせたので。私が話した時間は2時間しかない。ところが、摂理歴史を全て解いて話した。それを見た子供たちがそのように言うのだ。いつか私があの世に行く前に70億人類にどれほど真の父母様を知らせ、真の父母様の恩賜圏内に生きるようにできるだろうか、皆さんはそこに焦点を合わせて見なければならない。それゆえ、残った2人の娘を祝福することで、皆さんにも良いことをしたのだ。祈祷でも少し列挙したが、本当に堕落した人類を再び救援するのに天の苦労は言いようがない*1

 

 この日、韓鶴子は独生女についてさらに一歩進んだ言及をしている。独生女によって人類が解放され、堕落の血統を脱ぐ業は独生女だけができるというので ある。しかし、この言及も創始者の教示やアイデンティティと異なっている。「堕落の血統」は独生女によって脱ぐのではなく、絶対者・神様を代身して完成した「真の父母」から男性と女性が神様の血統として転換されてこそ堕落の血統を脱ぐことができるというのが統一教会の普遍的信念である。独生女の血統は誰の血統であり、韓鶴子から祝福された人は韓鶴子の血統に転換されるのかといった質問が今後提起される可能性がある。
 韓鶴子のこのような認識により、独生女論に対する執着が深化しており、結局、創始者の伝統とは異なるアイデンティティに拡大していることを知る事がで きる。「私以外には誰もできない。私でなければならない」としながら、自分の信仰を宗教的信念として信仰者らに強弁する韓鶴子の姿は、創始者のアイデンテ ィティとは遠く離れている。韓鶴子が真の父母の摂理的価値を縮小し、それよりはるかに下位の概念である独生女に捉われるようになった背景が何なのかについて、文亨進の説教の中で言及されている。

 

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*1:2014.9.12.韓鶴子の説教.