統一教会の経典の秘密

韓国メシヤ運動史研究所シリーズ第5巻 統一教会の経典の秘密 『原理原本』から『真の父母経』まで

統一教会の経典形成の背景

1 )統一教会の経典形成の背景


 統一教会の経典の最初の動機は、1935年4月17日復活節の朝、定州公立普通学校4年生だった16歳の創始者がイエスから受けた啓示であった。彼が受けた啓示の内容は、「神様」の摂理に対する特別な役割*1と平素真剣に悩んでいた人類救援事業*2に対する召命であった。これは、創始者の最初の宗教体験と言う ことができ、平凡な人生ではなく、自分の召命を果たすために生涯全体を投入しなければならない使命者の最初の認識と言うことができる。

 幼年時代と青年時代を経る間、創始者の使命者認識は、より具体的な努力と活動につながり、結局、創始者は1941年4月から1943年10月まで東京で留学生活をしていた時、絶対者・神様の存在と人間堕落の理由を悟るようになる。彼は絶対者・神様の実存を論証し、神様と人間は、親と子の関係だという事実*3と人間 を堕落させたサタンの正体と堕落の内幕*4などを8.15終戦前までに*5すべて明らかにしたという。この2つの悟りは、後に統一教会の創造原理と堕落論として具体化され、創始者が著した『原理原本』の核心内容であるだけでなく、後日、統一教会の信念体系と儀礼体系の根幹となった。
  韓国が日帝植民地時代から解放される頃、創始者はすでに原理の大部分を究明し、1945年10月から1946年4月まで、特別な目的を持って金百文のイスラエル修道院に入り伝道活動を開始するなど、本格的な使命者としての人生を開始した。 創始者イスラエル修道院に入って金百文と関係を結ぶようになった動機は、 彼が悟って認識した召命を成すために、当時の主な神霊集団の系譜を受け継い だ金百文の協力が必要だったからであった*6。後日の創始者による言及を見たときに、金百文に会った当時、創始者は韓国の神霊集団の系譜と、キリスト教主流の信仰とは違う彼らだけの独特な信仰の世界を十分に理解していたものと思わ れる。金百文の師匠である白南柱の話、金百文と白南柱が元山の新宗派、金聖道を訪ねて聖主教を日本の朝鮮総督府に登録してあげたという事実だけでなく、 日本植民地時代、北朝鮮で行われていたキリスト教神霊派集団間の関係など、 それらの宗教的な状況を把握した状態で金百文に会った。創始者は韓国を中心に、絶対者・神様の特定の摂理のために用意された集団としてそれらを認識していたのである*7
  創始者が金聖道、白南柱、李龍道そして金百文集団を自分の宗教的使命を助ける「天使長圏」の予め準備された集団と考え、彼らが準備した摂理的基盤を土台として、天からの召命を開始しようとしていた理由に注目せざるを得ない。『原理原本』の内容分析でより深く言及する予定であるが、彼らの業績と信仰から発見できる共通点は、大きく2つに分類される。再臨主は韓国に人間として来るという信仰と、人間の堕落を性的淫乱と信じた点である。しかし、創始者が金百文集団から得ようとしていた本来の目的は達成されなかったという。創始者が金百文集団を離れて*81946年5月27日に天の命を受けて平壌に到着したのは、1946年6月6日だった。その後、創始者が見せた平壌での宗教的行跡は堕落の血統の復帰を通した摂理の重要な条件を成すためであったと思われる。統一教会史に現れた創始者平壌での宗教的行跡は、主に聖書講解を通した神霊集会であった。当時創始者は、主に「神様の創造の話」「天使長の横的愛によって引き起こされたアダムとエバの堕落の経緯」「聖母マリヤ」
「洗礼ヨハネなど使命担当者たちの責任未遂によってもたらされたイエスの十字架の悲劇」などを題目として説教していた模様である*9
ところで当時平壌で伝道された金元弼によると、創始者が1946年6月頃平壌に来たときに『原理原本』の前身と言うことができる、いわゆる「会計本」(会計手帳 に書かれたものでタイトルはなかった)を持っていたという。しかし、この本は現在伝わっていない。
「1946年6月、平壌に来られた時にはすでに『原理原本』の基礎となるものを持っておられました。全体的な内容についてのことをノートに記録して持っておられたものと理解しています。どうして知っているかと言うと、お父様 が興南刑務所におられた時、私が面会に行ったのですが、一度はお父様が 『会計本』のことを話されました。お父様は刑務所におられた時、その『会計本』をチャ・サンスン執事に任せられましたが、お父様はチャ・サンスン執事にお願いして保管するように言われました。それで私がチャ・サンスン 執事に聞いたところ失くしたと言うのです。その当時、警察が来て家の捜索
もしたりしたので、おそらく失くしたようです。それは『原理原本』ではありま せんが、『原理原本』の前身と見ることができますね。しかし、それは完全に 失ってしまったのです*10
 また、朴正華の証言によると「会計本」のほか、『原理原本』の前身ということ ができるまた別のものがあったが、「円和園理想」という題目の原稿であった。 1948年頃、創始者興南監獄に収容されていた時に創始者の「み言葉」を朴正 華が記録し、その分量が原稿用紙1200枚程度になったという。「創造原理」「堕 落原理」「復帰原理」そして「再臨主が如何に来るか」についての内容も、この原 稿に含まれていたようだ。ただし、この原稿は現在残っていないが、朴正華の言 及でその内容の一部を把握することができる。
「将来、円和園が成されると、会員になった人は国境の差がなく言語の違いがなく、私たち韓国の円和園会員が日本に行って見物したいなら日本の円和園会員の家に行って1ヵ月滞在したいなら1ヵ月、10日いたいなら10日、ずっと1年滞在したいなら1年いることができる。また、アフリカへ行っていた人 が、韓国にも来て、韓国にいた人がアフリカにも行くようになって全世界で円 和園会員理想が実現されるだろう。そして、すべての交通も地球の端から端 まで一日で行くことができ、まるで稲妻がひらめく速度に変わる。つまり、世界が一つの家族、一つの囲いになって思いのままにできる世の中になる*11
統一教会創始者が生涯全体を通して注いだ経典に対する精誠を考慮すると、 『原理原本』以前に「会計本」や「円和園理想」のような文書作業に力を入れた ことは明らかである。

 

 

*1:『み言葉選集』第134巻145頁.1985.1.13.;「本人は16歳の時に非常な経験をしました。復活節の朝 に長い時間の涙ながらの祈りの末に、イエス・キリストが本人に現われて多くの啓示と教示を下さい ました。イエスは奥深くも驚くべき事がらについて、多くのみ言葉を話されました。苦痛を受けている人類のゆえに神様が悲しんでおられると話されました。そして本人に地上で神様の役事に対する 特別な役割をしてほしいと頼まれました」

*2:統一教会の足跡』20頁.;『統一教会史 上』13頁.;「先生が16歳になった年の復活節の日の4月17 日であった。…この日、少年・文鮮明先生の祈りの中で忽然とイエス様が現れて厳かな頼みをされ るのであった。それはまさに先生がその頃、内心深く策定して来られた人類救援事業に対する使 命であり、公式的な下命と言えるものであった」

*3:統一教会史 上』24-25頁.

*4:統一教会の足跡』24頁.

*5:統一教会史 上』35頁.;『受難の現場』22頁. 

*6:『み言葉選集』第19巻262頁.;第23巻282頁.;第50巻207頁.;第165巻19頁.

*7:『み言葉選集』第50巻207頁.

*8:統一教会創始者と金百文との関係を理由として、『原理講論』が金百文の『キリスト教根本原理』 (ソウル:東亜出版公社,1958.)を盗作したと一部では主張している。朴英官,『異端宗派批判Ⅰ』(ソ ウル:イエス教文書宣教会,1994),265頁.;しかし、『原理原本』が1952年5月10日に完成し、金百文の最初の著書である『聖霊神学』(ソウル:平文社,1954)が1954年に出たという事実を通して盗作是非の根拠がないことを理解することができる。『原理講論』(1966)は、『原理解説』(1957)から始まっ ており、『原理解説』は、『原理原本』から始まった。前長老会神学大学長・李鍾聲は自分の論文で、キリスト教の正統教理と神学的構造面で原理講論と金百文の本は互いに異なっていると主張している。李鍾聲,「統一教会の『原理講論』,その実と虚-教義学的立場から」『神学思想』第10集 第3巻,1975.479-529頁.

*9:統一教会史 上』1978,40頁. 

*10:金元弼のインタビュー(1998.8.13.),金振春,『統一原理第1部総論』2001,251頁から再引用. 

*11:『史報』第157号,1999.12.83頁.